ラーメン店主

【第5話】ラーメンが苦手だったから自分の好きな味を求めた「中華そば ひらこ屋」

P1220706 青森市新城、郊外の国道沿いにその店はポツンとある。裏は住宅地というものの、その店には青森県内から人が押し寄せ、駐車場は常に満杯、車の中で待つ人や入り口にも行列が出来る盛況ぶり。店の名は「中華そば ひらこ屋」、青森市内でも有数の人気店である事は間違いない。煮干しをふんだんに使った濃厚な「こいくち」と透き通った「あっさり」の2種を中心に、季節限定で出される「つけそば」「らうどん」等も人気が有り、場所の不便さを微塵も感じさせずに賑わいを続けている。

P1220713 店主の三上玲さんは、昭和49年青森市に生まれ青森市佃小学校、佃中学校、平内高校へ進み、中学時代は器械体操、高校時代も様々なスポーツやバンド活動を経験した経歴の持ち主。子供の頃に母親が家の近くの食堂で働いており、学校が終わった後に母に会いに行くと、店の店主が「これ食っていけ」と色んな料理を食べさせてもらっていたが、その当時ラーメンだけは最後まで食べられないくらい苦手だったというのは意外なエピソード。インスタントも普通のラーメンも苦手で、学生時代にラーメンを食べた思い出が殆ど無かったそうだ。

P1150182 高校卒業後は一般の会社に就職していたが、何社か職を変わっていくうちに自分のこれから生きていく道を考えだすようになり、22歳の時に、飲食業へ転身する事を決意する。最初に勤めた飲食店が、子どもの頃には苦手だったラーメン専門店。拘りがあった訳ではなく、人気があり繁盛していたのでなんとなくバイトから始めてみる事に。そこのラーメン店では、様々なラーメンの種類があり、入店してから色んなラーメンを賄いで食べるようになったものの、煮干しラーメンだけは苦手だったとの事。店で働いているうちに、そこの店で「ご当地ラーメン」を新メニューで加え続けていく事を伝えられ、そこで初めて全国には沢山のラーメンの種類がある事を知り驚いた。様々な地域のラーメンを味わっていくうちに、初めてラーメン自体に興味を持ちラーメン作りが楽しくなり、数年間その店で働き店長を任されるまでになった。
そんな折、母親が病に倒れ、数年間の闘病生活を見守る立場に。ある時、母親を元気づけるために、

「一緒にラーメン屋でもやらないか?」

って言うと、母親は凄く喜んでくれたものの、その数カ月後息を引き取った。

2014-12-26-14.34.49 ショックのあまり仕事も手につかなくなり、勤めていたラーメン屋も辞め、数ヶ月は家に引きこもるような状態が続き、なんとか気を持ち直して働く事と心のリハビリも兼ね、以前から興味があった他の地域のラーメンを食べに行ったり、東京のラーメン屋でバイトがてら様々なラーメンの作り方を学びながら自分の好みの味を探していく事に。時間を見つけては、名の知れたラーメン屋を回る事も始め、そこで人生に影響を与える店を知る事になる。その店とは、ラーメンブームの火付け役にもなった新宿・サンマ干しの名店「武蔵」。イワシの煮干しが苦手だった店主が、初めて魚出汁のラーメンを旨いと思った瞬間だった。それからと言うもの何度も何度も客として足を運び味を学びながら、サンマ干しのラーメンの味を研究していった
P1220709 そして28歳の時に青森へ戻り、青森市幸畑にサンマ干しを使ったラーメン店「雷門」をオープンさせる。店は順調に客足を伸ばし、ラーメン好きの間でも知られる存在に。その頃には、昔から苦手だった魚出しのスープにも抵抗が無くなると同時に、自分なりの青森煮干しラーメンにも挑戦したくなり、雷門とは別のスタイルで、今の「ひらこ屋」をオープンさせる。雷門と同じように、徐々に客足が伸びる事を想定して始めたもののなかなか客足は伸びず悩んでいた。そんな時に不運も重なるもので病に倒れ2ヶ月の入院生活を余儀なくされる。退院後、体の事や経営スタイルも見直し、2店同時に経営するのではなく1店に集中して味を探求していこうと決め、雷門を閉めひらこ屋一本に専念する事となる。味に改良を重ねていくうちに不振だった店は徐々に客足が伸び始め、行列が出来る人気店となっていく。
P1220725 ひらこ屋の麺は、朝7時から店主自らが作る自家製麺。使う煮干しは、ひらこ、鯵、いりこ、焼干を、季節差から生じる脂の出方に合わせ配合、水出しの時間を調整しバランスを重視した仕上がりを求めている。「こいくち」に使うトンコツベースのスープは、営業用のコンロとは別に何本か準備し、トンコツだけで2日、煮干しスープと合わせて1日、それに更に新しい煮干しを加えて1日と計4日もの日数をかけて仕上げられる。毎日の仕込みをしながらも、様々な粉や出汁を試験的に試し、メニューは開店当初から変わらないものの常に改良を加えているのも人気を維持する秘訣であろう。
 店主自ら様々な味を食べ歩き、年に何度かは東京の気になる店にも訪問しながら、いいところは取り入れるようにしているとの事。出汁に拘っているうちに、「出汁ソムリエ2級」という資格を取るまでになったのも進化の証であろう。
 煮干し会を長尾代表と立ち上げ、全国へ煮干しラーメンを広げていく事にも余念がない。店ではトップでも、煮干し会においては代表を立てながら一歩引いた立場で盛り上げていく人柄も、お客さん、煮干し会の参加店から愛される理由であろう。常連のお客さんにも常に愛想よく対応し、気軽に話しかけやすい店主の笑顔が、行列に並んでも、この店で食べたいと思わせる魅力に繋がっている気がする。
P1220722 将来の事を聞いてみると、

「ひたすら味に拘って、常に初心を忘れないようにしていきたい。

と語ってくれた。今では、別の場所(佃)で「麺屋らいぞう」も運営しているが会社の名前につけた「株式会社らいもん」は、最初に作った店、最初に思った気持ちを忘れないようにするためとの事。店を増やして行く事よりも、美味しいラーメンを作っていく事に拘り、遠い将来は、

「1人で、自分が好きなラーメンを好きなように作る店をやってみたい」

と教えてくれた。
P1220728煮干しもラーメンも苦手だった店主が、今では青森を代表する煮干しラーメン専門店を作るまでになるまでには、様々な過程があっただろうが、人当たりも良く温厚な人柄にひかれた様々な人との出会いや経験が、店主自らに影響を与えてくれたんだと思わせてくれる。これからも行列を続け、青森の煮干しラーメンを全国に広めてくれる店になっていって欲しい。

 


■煮干しラーメン データ

■店名 中華そば ひらこ屋
■製麺所 自家製麺
■煮干し ひらこ、鯵、いりこ、焼干し
■特徴 アッサリ、こってりの2種ともバランスのとれた仕上がり
2015-02-27 | Posted in ラーメン店主No Comments »