ラーメン店主

【第6話】働き者の2代目お父さん「マルミサンライズ食堂」

P1200386 青森市と浪岡町が合併して10年、浪岡も青森市となったものの旧青森市民にとって、浪岡に行くまでには車で1時間弱という位置にあり、今でもふらっと訪れるような場所ではない。そんな浪岡町にありながら、青森市内のラーメン好きにも名前を知られ、青森、隣の弘前、そして県内全域から客が押し寄せる老舗店「マルミサンライズ食堂」。スッキリとした出汁が縮れた麺に絡み、毎日食べても飽きないアッサリ仕上げで、好みが分かれる津軽煮干しラーメンの中でも、万人受けする珍しい存在だ。食堂と名の付く通り、カツ丼・カレー等、食堂メニューも豊富に揃え、座敷も広いため近くの家族連れから、個人でラーメン目当てに遠方からはるばる食べに来る客まで、幅広い層に支持される創業50年を超える老舗のお店

P1220764 今回紹介する三上善史さんは、その店を支える2代目。地元浪岡の女鹿沢小学校、中学校を経て、弘前の東奥義塾高校へ進学。小学校では陸上・ノルディック、中学で野球、高校でバスケットボールと、かなりのスポーツマン。20代からは、ラテンダンスを始め、県の代表となり全国大会にまで出たという経歴まで。今も店を手伝う奥さんの智子さんとは、そのラテンダンスを通じて知り合い26歳の時に結婚したとの事。

sunrise01 マルミサンライズ食堂は、昭和40年、農業を営みながら駄菓子屋をしていた善史さんの母が、店に来たお客さんに、ご飯を食べさせるのが好きな人で、そこから食堂を始める事になったというエピソードを教えてくれた。昔は、青森-大鰐間のバイパス沿いにあるドライブイン的役割を果たし繁盛し、昭和54年から近隣の仕事を請け負った人達の宿として旅館業も始めることになり賑わった。子供の頃から両親の商売を見て育った善史さんは、次男でありながらも長男が別の仕事についていた事もあって、中学の時から店を継ぐのが自分であるという事を自覚していたという。小学校の頃から、店にあるもので色々料理したりしていたので、高校を出る頃には、ラーメンの作り方なんかは、意識する事なく覚えていた。
 青森市内の大学に進んだが、夜は盛り場である本町でバイトし、朝から家の食堂を手伝っている生活を続けているうちに、学校を辞め家業を手伝う事に。旅館をやっていた頃の板前さんに料理のイロハを習い、ラーメンとは関係のない宴会場の料理やコイの活き造り等を教わり、腕を磨いていった。
P1200361 店では「仕出し」を始めた事もあって、夜は2時まで営業し、朝早くから仕出しの仕込みも重なって1日中働いていた。旅館業、食堂共に年中無休で営業していたので、年間通してもまともに休んだ日は殆ど無かったが、両親含め家族全員が、そんな状態だったので疑問にも思わなかったとの事。
 20年程前に、店の不動産関係のトラブルで、マルミサンライズ自体が競売にかけられ、所有者が別の会社になっても、借りる形で営業を続けフル回転で働き10年後に買い戻し自分の物としてからは、父では無く自分が店主としてやっていかなければいけないという自覚が芽生えていったと言う。
 P1200362マルミサンライズのラーメンは、父母共に強い煮干しの味に抵抗があり、鯵と昆布だけでとった出汁に、自家製麺の縮れ麺というのが基本。数年前まで麺は、浪岡のラーメン店数店が利用している鹿内食堂の麺を使っていたが、粉の値段の高騰や自分自身が昔からパスタマシーンで麺の研究をしていた事もあって自家製麺に興味が出た頃に、大和製作所という香川の会社の製麺機に惚れ込み、自家製麺に切り替える事に。何十年も変えた事の無い味への挑戦だった。
P1200352 そんな折、時を同じくして津軽ラーメン煮干し会の代表である長尾中華そばから、会への参加の案内が来た。その時まで店の仕事をこなす事が全てで、他の飲食店もラーメン屋も知らずに来たため、青森の長尾中華そばと名乗られても、店の名前自体知らない上に、ラーメン店で会を作ると言われても、どんな事をするのか自体想像する事が出来なかった。それでも何度か誘いを受けて話をしている内に、話の節々から出る技術の話や会の目指すもの、そして決め手になった一言が、

「一緒に」やっていきませんか?

という何でもないように聞こえる言葉だった。自分のラーメン屋しか知らなかった店主が、同じラーメン屋同士で、1つの事を一緒にやっていくと言われた事が、本当に嬉しかったそうだ。その後、会を通して付き合っていくうちに、会のメンバーである、ひらこ屋や五丈軒の店主の持つ技術や味の完成度に驚きを覚えると共に、自分が今まで作ってきたラーメンとは別の味のラーメンに興味を持ち、「濃い鯵」「津軽味」等の別のラーメンを作るようになった。すると、長年通ってくれた常連さんのリピートが増え、噂を聞きつけたラーメンフリークが遠方から来るようになって店の売上自体が上がったそうだ。おかげで、雇う人を増やし、店を従業員に任せて別な活動が出来るようになり、煮干し会の活動にも積極的に参加出来るようになったとの事。
P1220769 イベントに呼ばれる事も増え、別な地域へ行くたびに、そこの名物のラーメン屋を巡る事にも積極的になっていった。それでも毎日店のことばかりを何年もやってきた体には、外に出てても、お昼時なんかになると、

「今、店どうしてるだろう?」「あいつら無事にこなせてるかな?」

という心配ばかりして、落ち着いて外で羽を伸ばす事が出来ないという根っからの「働き者体質」が見え隠れする。子供の頃から忙しく働く親の姿を見て育ち、自分で働いてからも自分の店の事しか知らなかった店主に、外の世界を見せてくれるきっかけを作ってくれた煮干し会と長尾代表には、

「本当に、本当に感謝してるんだ」

と何度も嬉しそうに言う店主・三上さんの笑顔は、素敵だった。
これからの事を聞くと、まだまだ新しいラーメンを自分なりに工夫して作っていきたいと言われたので、どんなタイプのラーメンを作りたいのか伺うと、

二郎系 とか まぜそば

だそうだ。今では、インターネットやラーメン雑誌も良く読むようになり、都会で流行っている二郎やまぜそばも、自分で作ってみたくなったとの事。試作も繰り返しているみたいで、本当に近いうちにマルミサンライズ作の「二郎」や「まぜそば」が食べられそうだ。
P1220780 50年も続いた老舗食堂だが、子供達には好きな事をやらせて、自分の代で終わっていいと思ってるし、従業員が続けたいと言ったら、それもいいと考えていると語ってくれた。将来は、色んなラーメンを覚えた後に、奥さんと二人だけで切り盛りできるような小さな店をやってみたい、とも教えてくれた。
 50年続いた老舗の味と真面目な働きっぷりが染み付いた店主が、新しい仲間と出会い、味と出会い、これからも老舗を守りながら新しい味に挑戦していく楽しさを覚えた幸せが伝わる言葉だった。あったかい働き者のお父さんの言葉だった。
 


■煮干しラーメン データ

■店名 マルミサンライズ食堂
■製麺所 自家製麺
■煮干し 鯵干し
■特徴 煮干しと昆布だけで採った透き通ったスープ
2015-03-13 | Posted in ラーメン店主No Comments »