ラーメン店主

【第7話】お客さんが美味しいと思ってくれれば、それでいい「長尾中華そば」

img_259492_12876834_0 青森市内に5店舗展開し、40人もの従業員が働くラーメン屋がある。10年前、店主が29歳の時に始めた1軒の煮干しラーメンの店が、今では煮干しラーメンだけではなく、全国のご当地ラーメン、二郎系、飲める中華ダイニングなど、それぞれの店が個性ある店として人気を集め、青森市民だけじゃなく遠方からくる観光客にまで広く認知される事になった。その店が、

今回紹介する「長尾中華そば」

街のラーメン屋というより、1つのグループ企業として、青森市民で知らない人はいない位の認知度を持つ。
そのグループを立ち上げ、現在は経営者として取りまとめているのが長尾大さん。津軽ラーメン煮干し会の代表も務め、日本ラーメン協会の活動にも参加し、青森のラーメンを全国へ広めるべく催事やイベントで広く活動している。
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長尾さんは、昭和49年青森市に生まれ、浜田小学校、南中学校、青森商業高校と進み、中学時代はバスケット、高校時代はラグビーと部活動に勤しみながらも、自分で働いて稼ぐ事が好きで新聞配達や回転寿司でバイトしながら、アンティーク物や好きな服を集めていったという。ちなみに学生時代は、煮干し系のラーメンには全く興味が無く、青森のB級グルメにもなった「味噌カレー牛乳ラーメン」が好きだったとの事。

高校卒業後は、とにかく東京へ行きたかったという理由で進路を選び新宿調理師専門学校へ進む。その当時、一番好きだったのが中華で、それ以降ずっと中華の道を歩く事になる。まず最初に勤めたのが、六本木の香妃園。ここで見習いとして下積みを積み、そこで知り合った先輩を慕い後を追うように、何店かの中華料理店で腕を磨いていく。中華料理店で働いていたものの、ラーメンそのもの自体に別段の思い入れがあった訳では無いが、ラーメンブームで話題の店を何店か行く程度であった。ある程度、中華料理の腕に自信もついてきた頃、青森市にある青森国際ホテルで中華料理人の募集をしている事を知り、青森へ帰省しそのホテル内にある中華料理店「吉慶」(きっちゅん)で働く事になる。店主25歳の時だった。
SONY DSC 吉慶の仕事は忙しく、それまでの個人相手の仕事とは違い、宴会・結婚式と様々なジャンルに及び、更に学ぶ事が出来たという。、青森に帰ってから、時間のある時に地元のラーメン屋を食べ歩くようになった。学生の頃と異なり、煮干しベースのラーメン屋が多い地域である事を知り、その中で出会ったラーメン屋・弘前の「たかはし」の味でラーメン作りに興味を持つようになった。吉慶でもラーメンは作っていたが、自分の味を求めたくなり29歳の時に、今の浜田店の場所で長尾中華そばを立ち上げる。
P1060679 アッサリとコッテリの2本立ての煮干しラーメンで始めた店としては初だという事もあって、店は最初から軌道に乗る。そんな中、東京で行われた「ラーメントライアウト」に出場し決勝まで残った実績や、自分の店のカップラーメンが発売された事によって、更に認知度が高まり店に収まらない位のお客さんが来るようになり他店舗展開を考えるようになった。2008年はALIへ出店(その後閉店)、2009年には西バイパス店とサンロード青森(その後移転)へ同時期に出店するようになる。この頃、全国の催事やイベントにも頻繁に参加し続け、青森ラーメンそして長尾中華そばの知名度を上げる活動にも力を入れるようになる。東日本大震災が起きた時には、有志を集め何度も炊き出しにも出向いている。この間も、元々あった「あっさり煮干し」「こく煮干し」等のラーメンには、何度も改善を繰り返し、オープン当初に比べ格段に美味い味に仕上がってきたと言う。
P1230017 全国のイベントに出店する度に、名前の知れたラーメン屋を食べ歩く事にも余年がなく、そこで学んだ味やサービスのいい部分を自分の店に取り入れ、細かい業務改善も部下に伝えながら店全体を変えてきた。朝早くからラーメンを提供する「朝ラー」文化を広めたのも、そこから学んだ事の一つだと言う。全国のラーメン店主達との交流も増え、同じ経営者ならではの情報交換の機会も増え刺激になっていった。  今では5店舗を束ねる立場となり料理人としての仕事から経営者の仕事に専念している。周りからも良く言われる事らしいが、青森市以外への出店の事に触れてみると、 味を落としたくないから、

自分の目の届く範囲内に拘っていきたい

との回答が。私自身、店主とはイベント等の打ち合わせを通して意見を交わしてきたが、彼がいつも言うのは、 収支よりリスクより何より、

「お客さん」が来た時に足りなくして食べないで帰すような事はしないでください

と口ぐせのように言う。実際、彼とイベントを企画する際に、お金の話から始まった事は一度もないし、企画内容や集客方法で議論した事すら無い。彼が私に言うのは、

イベントの目的 と お客さんに何を与える事ができるか。
そして続けていく事が大事。

と言い切る。 DSC_1562 煮干し会を立ち上げたのも、青森のラーメンを全国に広める活動を「続ける」志を持った人達と安定して活動して行くためで、会に所属する店が増える事や、会の結束を固める事は考えていないとも言う。お互いの店が切磋琢磨して競い合いながらも、青森のラーメンを全国の人に知ってもらう活動では協力して続けていければ、それだけでいいとの事。全国のラーメンを食べてみて、

東北のラーメンは美味い。そして青森のラーメンも美味い。

と改めて思ったからこそ、ぶれずに活動を続けていけるのだろう。 P1220929 自分の店に対しては、部下の責任・職域を広げていきながら、成長に見合った形で店の運営形態も変えていきたいとの事。ラーメンを軸としながらも、お洒落なバーと中華料理を融合させた店を作ったりするのも、そういう考えからだと思える。 部下に求める事を尋ねると、

作ったラーメンを、お客さんが美味しいと思い喜んで帰ってもらう事

が我々の仕事で、部下にも、その仕事の意味を理解して働いて欲しいという経営者としての言葉で、語ってくれた。  私自身プライベートでも付き合いもあり、飲んだ席や打ち合わせで話をすると、いつも短い言葉で核心をつく言葉を言う。殆ど説明もなしに、いきなり結論から言うから、言葉がきつく聞こえる人もいると思うが、根の部分では色んな事を考えているというのと、基本的に「情」のある男だと、私は思っている。議論していて「お客さん」という言葉から始まるのも、細かい理論を無視しても本当の意味で相手の事を考えているから優先されていくんだと思う。黙って黙々と働く職人タイプでありながら、経営者としての重要な部分を経験を通しながら身につけていったところを、私自身尊敬している。

P1200911自分の勘と感性を信じて行動する」「行動しなければ何も始まらない」

と彼は言う。まさに、この言葉を実践してきた事で、今の店と煮干し会があるのであろう。

「これからも青森のラーメンを全国に広めていきたい」

と最後に力強く語ってくれた。

■煮干しラーメン データ

■店名 長尾中華そば
■製麺所 旭屋製麺
■煮干し ひらご、片口、うるめ、いりこ
■特徴 アッサリとコッテリのバランスを重視したラーメン
2015-03-24 | Posted in ラーメン店主No Comments »