2015-01
【第1話】五所川原にあっさり系の名店あり「丸山らーめん」
青森市の郊外、市内をぐるっと巡る環状線沿いに旨いあっさり出汁の店の噂を聞いたのが10年前。観光客が訪れる三内丸山遺跡の近くにぽつんと1軒だけ建っており大体の場所を聞くだけですぐ見つかった。
店の名は遺跡のある地名から取ったという「丸山らーめん」。名前から場所が容易に想像出来、忘れにくい名前でもある。噂通りのあっさりスープに細縮れ麺で、地元の人間が昔から愛する「津軽ラーメン」の基本をしっかり継承した一杯。添えられた薄切りバラチャーシューが秀逸で、思わず秘伝のコツを聞きたくなる位の出来。スープを飲み干し、また来ようと思っていた数年後、この店は青森市から30km離れた五所川原市へ移動する事になるが、名前は青森にあった頃の名前のまま「丸山らーめん」、今では五所川原市民と、青森市時代から通っていた常連客が、わざわざこのラーメンのためだけに足を運び、ニコニコいつも笑顔で迎えてくれる店主と美人の奥さん、娘さんの3人で賑いを見せている。
店主の市前さんは昭和25年生まれの64歳。生まれ育ちは鰺ヶ沢、西海小、鰺ヶ沢中学校、鰺ヶ沢高校と進み、卒業後は料理の道を目指し東京の洋食レストランへ。子供の頃は野球少年だった傍ら自分で料理を作るのも好きで、おやきやクリームパンなどを、自分で型にはめて作っていたというから夢中の程が分かる。東京で6年間3軒程の店で修行し、24歳の時に青森市へ戻り喫茶店に勤めた。26歳の時に、今でも店を手伝ってくれている奥さんと知り合い結婚、28歳の時に独立し浪館通り沿いに1軒の喫茶店を構える。洋食のコックをしていた時に腕を磨いたエビフライやしょうが焼きが人気で、地元の人の憩いの場として10年間営業。
喫茶店を営業している時からラーメンを食べ歩くのが好きで、合浦公園近くの「つじい」や、五所川原の原子にあるネギラーメンで有名な「ラーメンショップ」に度々足を運んでいるうちに、ラーメン屋をやりたい思いが強くなり、38歳の時に喫茶店を閉め、五所川原のラーメンショップへ修行に行き、フランチャイズとしてのラーメンショップを、後の「丸山らーめん」となる地に「ラーメンショップ 三内店」をオープンさせる。環状線は開通していたものの周囲は林だらけで、なかなか開発許可が降りなくオープンまで半年ほどかかったエピソードを教えてくれた。立地の関係もあり2年位は苦労したが、その後安定してお客さんが来るようになり経営は安定。1男2女にも恵まれ、娘さん達は夏休みや日曜日になると小学生ながら店を手伝ってくれる看板娘へ成長してくれたと嬉しそうに話してくれた。そこから子育てをしながら数年、ネギラーメンの店としてフランチャイズながらも自分なりの工夫を織り交ぜながら営業していると、自分だけのラーメンを作りたくなり安定したラーメンショップとのフランチャイズ契約を解消し、自家製麺、平舘産の焼干しに拘った「丸山らーめん」として形態を変えて平成11年(99年)再オープン。三内丸山に店を構えて10年での転換、その当時店主は49歳での再出発だった。
場所を変えずに再出発したものの、味がなかなか安定せず野菜・昆布・鶏ガラの量を足し算・引き算しながら変えていったところ、ある時焼干しとトンコツのガラだけの組み合わせが自分の求める味だと思い、続けていく事3年、客足も落ち着いてきて、ラーメンショップ当時と同じような賑わいを取り戻すことが出来るようになった。私が噂を聞いて食べに行ったのもその時の味だろう。地元のタウン誌でも紹介されており、ラーメン好きの間でも、あっさり系が好きなら丸山らーめんは外せないと耳にするようになっていた。
そんな時、店主・市前さんの五所川原に住む叔母の様態が悪くなり、思案を重ねた結果、娘・息子たちも全員学校を卒業し、転居しても差し支えない状況になっていた事もあり、家も店も転居し叔母の介護をすべく五所川原へ。
平成18年(2006年)、エルムの街の近くに場所は変わったものの青森市の地名・三内丸山そのままの「丸山らーめん」をオープン。麺は体力的な事情から自家製麺を辞め「高砂食品」に頼んだ「細縮れ麺」。スープも焼干し価格が高騰してきた事等から、焼干しと煮干しを合わせたスープに変更。ここでも最初の2年程度は、客足は停滞したものの、周囲に大型店が次々と出店してきた事や地元での知名度も上がっていった結果からか、徐々に客足を取り戻していった。
そして大きな味の転換が訪れる事に。五所川原に店を構えて3年目のある日、いつもの様に仕込みをし、開店前に試食をしていると、その日の味が妙に自分にとってしっくりする味になっている事に気づく。どうしてこうなったんだろうと考え、ふとシンクの方を見てみると、下ごしらえして寸胴に入ってなければいけない「トンコツのガラ」が、入れ忘れたまま残っていた。その時初めて自分の追い求める味は、魚介100%のスープだということを悟り、それ以来今まで、一切の動物系スープなしの味に落ち着く事に。更なる焼干し価格の高騰により、今では 100%煮干しベース(ひらこ)のスープ で、煮干しの風味に拘り仕上げている。
青森市でラーメン屋をやっていた時も今も、店が休みの日の大好きな趣味はラーメンの食べ歩き。青森市時代に、よく通った店が昔から通い続けている合浦公園の「つじい」と、東の矢田前にある「またべい」、店が休みになると、この順番で連食するのが週の日課になっていたとの事。それが五所川原に転居し店を開店させた3年間位は家は青森で、市前さんだけが五所川原の叔母の介護で五所川原から通い休みになると青森市内の家に戻る生活になる頃から、食べ歩く好みの店にも変化が出るようになった。家に帰る途中通る新城の「ひらこ屋」、西バイパスのまえだストア敷地内「長尾中華そば」を連食するように。五所川原に完全転居しても、ひらこ屋、長尾の連食パターン(あっさり系のみ)は変わらず数年続いたある日、長尾中華そば店主より「津軽ラーメン煮干し会」への加入案内が。面識が全くなかったものの、大好きなラーメン屋、長尾中華そば、ひらこ屋が作った団体だからと、喜んで参加したとの事。
今ではマルミサンライズや五丈軒等の煮干し会加盟店を回っていくうちに、好みの味にも変化が出てきて、知らず知らずの内に店で使う煮干しの量が増えているとの事。ラーメン以外に好きな物を質問すると、中華料理と天ぷらが好きで、古川にある「友楽」や旧線路通りにある「芝八」にちょくちょく伺うと、一緒に話を聞いてくれてた奥さんが笑って教えてくれた。ここの店に行くと、店主だけじゃなく奥さん、娘さん全員が、ゆったりとした笑顔でもてなしてくれる居心地の良さを感じる。みんな店主である市前さんが好きで、娘さんから今では小学生のお孫ちゃんまで、夏休みになると手伝いに来るとの事。
「高いお小遣いやんなきゃいけなくて困っちゃうよ」って言ってるものの、おじいちゃんは嬉しそうだ。きれいな娘さんが手伝ってくれるようになったエピソードを伺うと、現在手伝っている長女のアキさんではなく昨年までは、次女が手伝ってくれていたとの事。ある時、常連のお客さんで青森市内の老舗ラーメン店「八森」と、ここの店が好きで通っている方から、八森の2代目を紹介され、気づいたらその2代目が毎週丸山らーめんまで来るようになり、気づいたら結婚してたっていうネタのようなエピソードも紹介してくれた。
なんでも楽しそうに語る市前さんの人柄に、家族もお客も魅かれていくんだろう。
最後に今後の目標を聞いてみると「東京進出」って笑いながらも真面目に語ってくれた。御年64歳、まだまだ楽しそうにラーメンの道を歩き、新たな丸山らーめんを見せてくれそうである。
■店名 | 丸山らーめん |
■製麺所 | 高砂食品 |
■煮干し | ひらこ(千葉 or 鳥取産) |
■特徴 | 煮干しだけで出汁を取った あっさり醤油 |